第8回東邦ピアノセミナー報告

第8回東邦ピアノセミナー報告

第8回東邦ピアノセミナーが去る7月27日(日)に文京キャンパスで行われました。今回の講座テーマと講師の先生は次のとおりでした。

●講座1:「時代様式に基づいたピアノ演奏とは──8」~ロマン派から近現代へ~
講師:國谷尊之先生
●講座2:「ウィーン国立音楽大学の《子どものための音楽教育》から探る日本のピアノ指導の在り方と可能性」
講師:浦川玲子先生
●講座3:「G.フォーレのピアノ曲」~秘められた「技」を探る~
講師:遠山菜穂美先生

講座終了後に、ピアノ主任教授の久邇之宜先生の司会で、3人の先生方に「セミナーの報告座談会」を行っていただきました。その模様をお伝えします。

■講座1:「時代様式に基づいたピアノ演奏とは─8~ロマン派から近現代へ~」

久邇:
今日はお疲れ様でした。各講座に大勢の受講者の方がおいでくださり、皆さんとても納得してお帰りになったようで、有り難うございました。
では講座の順に、まず國谷先生からお伺いします。音楽に限りませんが、政治というものがいかに影響力を持っているか、ということがよく分かりました。第一次大戦の頃までの激動の時期をよく整理なさって、ドビュッシーとスクリャービンという2人の作曲家に焦点を当てられてお話をなさったことが、私としては非常に興味深いことでした。先生は学生時代からこの2人に注目されていらしたのですか?
國谷:
そうですね。この2人は非常に好きな作曲家でした。当時理屈は自覚していませんでしたが、ロマン派の果実が成熟しきって腐る寸前が美味しいという、その辺りの変化していく過程を体現していた作曲家なので、そこが自分の興味を惹いていたんだということを、後にいろいろ学んでいくうちに気付いていきました。それをきっかけに、その時代やそれ以降の作曲家のことを調べたり聴いたりするようになりました。ですから学生時代に、入口としては、私自身大変幸せな出会いをこの2人の作曲家としたと思っています。
久邇:
私もウィーンの音大に留学して、同じようなことを感じました。私の場合はリヒャルト・シュトラウスでしたが、果実の中は熟れきっていて、針で突き刺したら中身が全部出てきて皮1枚で繋がっているような時代で、ヨーロッパの人たちはそれを膚で直に感じてきていますが、私たちとしては想像の域を越えられません。國谷先生のお話を伺っていると、その辺りがよく分かります。
特にスクリャービンは作風が三つの時期で凄く変化しますね。國谷先生はどの時代のスクリャービンがお好きですか?
國谷:
私は入口は初期でした。最初にピアノ協奏曲を聴いて感動して、弾くチャンスもいただきました。初期のソナタとかプレリュードといった作品も弾いていましたが、その内に中期がいいなと思うようになり、今は後期が一番好きです。
後期を最初に聴いていたら、もしかしたらスクリャービンに対してそれ程の関心を持つことはできなかったかも知れませんね。
久邇:
スクリャービンを好きな学生もいますが、最初から後期を好きなわけではなく、やはり初期から、スクリャービン自身と同じように変化していくんですね。
國谷:
それと似たような過程で、20世紀の作曲家のいろいろな作風とか人となりとかを調べているうちに、年代を追って私自身の興味も移ろって行きました。
久邇:
國谷先生が前に同じ「時代様式」のテーマでなさったのは、今回の前の時代までだったのですね?
國谷:
はい。「時代様式に基づく演奏」というテーマを、東邦音楽大学・短期大学でのピアノ教育の考え方の柱にしようということがこのセミナーの出発点の一つになっていますので、そういう考え方を示そうということで、第一回にバロックから始まって古典期を通ってロマン期までを取り上げました。と言いましても、全部を取り上げることはできませんので、楽器の変化と作風の変化との結び付きに焦点を当てて話しました。近現代以降は宿題になっていましたが、ようやく今回やらせていただきました。
久邇:
受講者の方々の反応はいかがでしたか?
國谷:
20世紀音楽に関する公開講座というのはあまり多くはないと思いますが、聴いていただいた方々は、戸惑いつつも新しいことを聴いている、というような関心を示してくださっているような感じがして、嬉しく思いました。ペンデレツキの「広島の犠牲者の追悼のための哀歌」の一部分を聴いていただきましたが、皆さん関心を持って聴いていただけたようでしたので、いわゆる現代音楽も歴史的な目で見られるようになって来たようですね。そういう意味では、今回のテーマをこの年まで待っていて良かったかも知れません。
ただ近現代と一括りにしていますが、最早新たな概念が必要だと思います。私は音楽の世界に入って以来、今までピアノの4期別指導の普及に力を注いできましたが、私が音楽の仕事を始めて既に四半世紀経って、4期別の考え方も古くなりつつあるということに去年(2013年)気が付きました。ですから、私も新たな可能性を考えて行きたいと思っています。

■講座2:「ウィーン国立音楽大学の《子どものための音楽教育》から探る日本のピアノ指導の在り方と可能性」

久邇:
浦川先生の講座では、「ウィーン国立音楽舞台芸術大学」というウィーン国立音大の正式名称からご説明くださいましたが、そう言えばそういう名称だったなと……
浦川:
そうなんです、普通忘れられていますが(笑)。
國谷:
浦川先生の講座では、ウィーン国立音楽舞台芸術大学の様子を学部構成などもお話しくださり、しかも写真や動画も見せていただきましたので、ウィーン国立音大の雰囲気をまず味わわせていただけました。ですからその後のお話は、ウィーン国立音大で直接聞いているような気分になれたのではないでしょうか。
浦川:
有り難うございます。東邦には東邦ウィーンアカデミーもありますし、ピアノセミナーの受講生の方々もウィーン国立音大にご興味があるのではないかなと予想していました。実際質問してみましたら、何人もの受講生がウィーンにいらした経験がお有りでしたし、研修でいらっしゃった方も多かったです。
前置きが長いかなと思ったのですが、やはりウィーン国立音大の様子、仕組みを先に説明しておいた方がより受け止めやすくなるだろうと…
國谷:
芸術系の総合大学ですね。
浦川:
そうなんです。舞台から演出、映画、テレビ放送もあります。
久邇:
浦川先生は、「カール・オルフの音楽教育」について、実践的な講座をなさいました。私があの大学にいたときから「カール・オルフの音楽教育」は注目されていましたね。非常に画期的なものでしたから。
浦川:
はい、特に音楽教育学部の、子どもの音楽教育を学ぶコースでは、オルフは重要な存在ですね。
久邇:
オルフは作曲家としても勿論、教育者としても素晴らしく、その音楽教育を取り上げてくださった。
浦川:
オルフは若い頃から教育に積極的に携わっていますし、子どもが本当に好きだったんだと思います。それに、オルフが追求したやり方というものは、奥が深くて、普遍的なメッセージ性を持つものだと思うんです。そして、素晴らしいアイディアの持ち主ですね。その辺りをご紹介できて良かったです。
久邇:
私は聴けませんでしたが、内容が非常に面白かったと伺いました。
浦川:
オルフの音楽教育では、オルフ楽器という、シロフォンやメタロフォンなどいろいろな打楽器を使いますが、それを実演したいと思いまして、1人ではできませんので、ピアノの上手な打楽器専攻の学生2人に手伝ってもらいました。楽器は、川越キャンパスの音楽療法研究室のものをお借りすることができたので、とてもラッキーでした。実物の楽器の音色も聴いていただけましたし、講座終了後に楽器を手に取る方もいらしたので、それが具体的に伝わって良かったかなと思いました。
何もないところから即興は生まれない、ということで、あるメロディーをオスティナートしていく、繰り返していくことから即興に導いていくというところが非常に面白いですね。
実際にオルフ楽器を使って自宅で子どもたちを指導している様子を動画にしてお見せしましたので、聴講された方にとってそれも説得力が増したかなと思います。
國谷:
資料も相当分かり易く作っていただいたので、これをきっかけにいろいろなことを調べようという気分になります。
浦川:
オルフが17歳の頃に、日本の歌舞伎の「寺子屋」を基に「犠牲」というオペラを創っているのです。しかしオルフ自身が上演を封印してしまったのです。そのために誰も演奏しなかったのですが、オルフが亡くなって30年経って呪縛が解けたからか、2012年にベルリン・ドイツ・オペラで、ヴァインベルガーの同じ題材の「ドルフシューレ」(村の学校)というオペラと2本立てで上演されました。今日は参考までに歌舞伎の「寺子屋」の映像資料もご覧いただきましたけれども、日本の伝統文化に興味を持ったオルフとはどんな人だろうと、ますます私も好奇心に駆られました。

■講座3:「G.フォーレのピアノ曲」~秘められた「技」を探る~

久邇:
実はこの2~3年、フランス作品を取り上げて欲しいというリクエストが多かったのです。確かにフランスものはやらなければいけないと思っていましたので、それで今回初めてフランスものを遠山先生にお願い致しました。
遠山:
ラヴェルにしようかフォーレにしようか迷いましたが、普段あまり演奏会で脚光を浴びることが少ないけれど、実は一番フランスらしいところがあるフォーレにしてみようと思って選びました。
久邇:
いい選択だったと思います。これは個人的な意見ですが、ラヴェルはフランスと言うより、バスク地方やスイスを感じます。
遠山:
そうですね。ラヴェルはフランス人ですが、バスク人とも言えますね。フランスとスペインとの国境を跨がるバスク地方出身のお母さんの影響がとても強いですから、純粋なフランスというよりは、バスク系の文化が入っていますね。
久邇:
ですからフォーレを選んでいただいたのが、本当に良かったと思います。フォーレが一番フランスらしいイメージがありますから。
遠山:
だと思います。生粋のフランス人ですから。
久邇:
フォーレの場合、調性破壊の方法が、例えばシェーンベルクのように完璧に壊してしまうのと違って、たゆとうと言いますか、そこに調性はあるけれど横の繋がりがなく動いていて、結果的に無調のような感じになっていく、こういう調性破壊の方法もあると、ウィーンで勉強していたときに教わりました。
遠山:
調があいまいになっても、無調にはならないんですね。調性を壊すというドイツ系の方向性に対して、調性をいかに豊かにして、そこから可能性を見出していくか。フランスの6人組もそうですが、かなり新しい響きも入っているにもかかわらず、基本は調体系を残したい、音楽を楽しみたいという、感覚的な心地よさみたいなものを守っている人たちかなと思っています。
ですからワーグナーのように調をどんどん動かして行って、できるだけ主調から逃れて行くというのとは違って、すべてが揺らぎではないのですが、いろいろな調に行きながらも、フォーレ・マジックともいえるちょっとした音の読み替えで、主調にすっと戻って来られるんです。
フォーレが勉強した和声法を伝えるルフェーブルの和声法は、第1章の初めから、ドミソの和音をすべての調に置いたらどんな役割を果たしていますか、というところから始まります。だからハ長調のドミソではなくて、所属なしのドミソ、擬人化するならばすべての調に常に行ける人、ということです。それが第1章の最初の方にあり、それをまず忘れてはいけない、と書かれています。
久邇:
よく分かります。私もフォーレの音楽を聴いていて、何でそこにすっと行くの?という思いがあります。
遠山:
懇親会で、なぜこっち(この調)なの?と、前からそう思っていました、という先生がいらっしゃいました。なぜシャープをわざわざナチュラルにしているのかな?と思っていたけれど、解決の糸口が見えました、と。それを伺って、ちょっとは伝わったかなと嬉しく思いました。
フォーレとワーグナーの関係も、フォーレは批評家でもありましたので、ワーグナーのことを正当に評価はしていました。表向きかもしれませんが、優れた作曲家だと実力は評価していたけれど、自分はそれとは違う道を行く、という感じです。ただ、作曲家同士の「影響」は簡単には言えません。フォーレがワーグナーの影響を全く受けていないかと言いますと、フォーレが20歳くらいの頃からワーグナーの作品がフランスにどんどん入って来ていますから、そう言えるかどうか……。ただ、ちょうどロマン主義の音楽が円熟して、調をどうするか行き詰まってきて、どんな風にしたらいいか、という時期にドイツとフランスで開いた2つの花かも知れません。ですから「影響」ということではないのかも知れませんが。
久邇:
ワーグナーと言えば、ドビュッシーが一時熱烈なワグネリアンだったそうですね。
遠山:
そうなんですね。あまりにも大きな存在で、自分の作品が書けなくなってしまった時期もありました。
久邇:
その反動で、逆にその後、もの凄い反ワーグナーになったという……
遠山:
ええ、それで単純に言いますと、ガムランを聴いて、こんな音楽もあるのだったら頑張ろう、と思うわけです。和声のことでそれまで呪縛があったけれども、ガムランを聴いて、こんな風みたいな、波みたいな、自然界みたいな音楽があるんだと気が付いて、それから平気で禁則の連続5度を使って「版画」を書いたりとか、1年くらいの間にものの見事に立ち直ったんですね。
久邇:
素晴らしい。
遠山:
確かに久邇先生のおっしゃるとおりで、熱烈なワグネリアンになるフランス人が当時多かったのです。でもあるとき、批評家などが一斉に「ワーグナーの時代は終わった」と言い出すんです。実際に作品を見ると半音階法を使ったりしていますので、まだ終わってないと思うのですが、やっぱり終わったことにしたかったのだと思います。いろいろな批評家が、もうフランスはフランスの道を行く、という風に……
久邇:
分かるような気がします。
遠山:
実際には世紀末が終わって20世紀に入っても、オペラ座ではどんどんワーグナーのオペラが増えて、まだまだ頂点が続くのですが、6人組にしても、「ワーグナーは大嫌い」という路線から入るんですよね。
久邇:
そうそう。いかにして自分たちの個性を伸ばして行くか……
遠山:
ワーグナーが嫌いなのに、なぜかストラヴィンスキーは好きなんですね。その差には何かきっと理由があると思うのです。ワーグナーのように、霧のようなもやもやしたあんな音楽はいらないとか、挙げ句の果てにドビュッシー流の印象的なものも良くないとなってしまいます。ドビュッシー自体は尊敬されていましたが、その亜流のような、和音をあいまいにぼかして行く音楽の時代は終わったと、6人組の人たちはそう考えていたようです。
今日はそこまで触れることができませんでしたが、調のことに深く入っていくと、ドイツとの関係も触れないわけにはいきませんね。
久邇:
それはそうですね。そこに国というものが影を落としていますね。
遠山:
そう思います。やはり1870年にドイツと戦争をして負けたということもあって、一時期ワーグナーもパリでは拒絶されました。でも音楽の魅力がやはり凄まじかったのか、その後80年代になってワーグナー熱がわーっと出てくるんですね。
久邇:
本当に根深いものを感じますね。非常に面白い講座でした。
今回の講座を総括しますと、多岐に渡ってお話しいただけましたので、それが非常に成功だったと思います。例えば、講座2のウィーン音楽大学のお話は、今の浦川先生でなければできないでしょうし、講座3で遠山先生がフォーレを取り上げてくださったのも、受講者の皆様の期待に応えることができて良かったです。講座1では、國谷先生が政治と音楽とを密接に結び付けてお話しくださったので、とても良かったですね。政治と音楽は切っても切れないもので、やはり政治の力は大きいですから、我々は政治に対してもっと敏感にならなければいけないと感じました。政治に流されることなく、毅然としたものを心の中に持っていないと、いい音楽表現もいい音楽教育もできなくなってしまうのではないでしょうか。そんなことを感じさせられました。
先生方、有り難うございました。


<当日の講座内容>

講座1「時代様式に基づいたピアノ演奏とは-8」~ロマン派から近現代へ~
講師:國谷 尊之

講座1「時代様式に基づいたピアノ演奏とは-8」~ロマン派から近現代へ~

市民社会の到来とともに、表現豊かな楽器に支えられて発展するロマン派ピアノ音楽。19世紀は、数えきれないほどのピアノ名曲が生み出され、愛される時代となりました。しかしその音楽も世界規模の社会の大きな変化とともに更なる変容を遂げていくこととなります。今回の講座では様々な手法で新時代の音楽を切り拓いたドビュッシーをはじめ、何人かの作曲家の作品を通して、19世紀から20世紀にかけての激動の時代を俯瞰しその表現に迫ります。

講座2「ウィーン国立音楽大学の[子どものための音楽教育]から探る日本のピアノ指導の在り方と可能性」
講師:浦川 玲子

講座2「ウィーン国立音楽大学の[子どものための音楽教育]から探る日本のピアノ指導の在り方と可能性」

ウィーン国立音楽大学の教育学部教育科ピアノコースでは、ピアノ指導者を目指す多くの学生が学んでいます。その特色あるカリキュラムはすべて「子どものための音楽教育」に結びつけられています。日本人の私達はそこから何を学び取り、どのように日々のピアノ指導へと生かしていく事ができるのでしょうか。ウィーンの現場の教材を紹介しながら、私達のピアノ指導の在り方と可能性を探っていきます。

講座3「G.フォーレのピアノ曲」-秘められた「技」を探る-
講師:遠山 菜穂美

講座3「G.フォーレのピアノ曲」-秘められた「技」を探る-

近代フランス音楽の巨匠、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)は《夜想曲》、《舟歌》、《即興曲》をはじめ数多くのピアノ曲を残しています。ベルエポック(古き良き時代)のサロンの人々をうっとりさせ、あのプルーストをも夢中にさせてというフォーレの音楽の優雅な外見の裏側には、時代をリードする新しい書法が隠されていました。本講座では、その秘密を和声、旋法などさまざまな観点から解き明かします。

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