第14回 東邦ピアノセミナー報告

第14回 東邦ピアノセミナー報告

ピアノの演奏や指導に携わる方を対象として、東邦音大の教授陣による最新の演奏テクニックや楽曲の解釈に関する講義を聞き、個人レッスンを受けることができる東邦ピアノセミナー。毎年夏に東邦音楽大学文京キャンパスで開催されてきたが、昨年度はコロナ禍の影響で中止となり、第14回となる今年度は参加人数を絞り、感染対策を取った上で2021年7月18日に実施された。

■講座1 「心に響く演奏表現をめざして~表現を高めるためのテクニック・その3」
講師:中島 裕紀先生[東邦音楽大学教授]

講座1は『心に響く演奏表現をめざして〜表現を高めるためのピアノテクニック・その3』2018年度からシリーズ化されたテクニックの講座であり、今回その第3回目のバトンが中島裕紀教授に渡された。共通するテーマに対して講師ごとに異なる視点から解説される点が興味深い。中島教授は、国内はもとよりドイツ等においてもテクニックや音色に関する講座を数多く担当しているが、今回の講座では、ピアノ演奏における合理的な奏法、体の使い方に焦点が当てられ、その基本事項について実際にピアノを使った具体的な例示と解説がされ、わかりやすくなおかつ説得力の強い内容となった。
 前提として、既成概念にとらわれることなく「科学的・分析的」な見方をすることが大事で、ピアノのテクニックが通常個人レッスンで継承されている中、これまで自身の先生から受け継ぎ実践してきたものとは異なる方向性を持つ考え方に対して、柔軟な思考で受け入れ、自分の「知識の引き出し」に加えることが重要と話した。さらに、ピアニストは生涯にわたり自身のテクニックを見直しながら演奏を続けており、マルタ・アルゲリッチを例に、自然な良いテクニックを習得することは演奏寿命を延ばすことにつながると言う。
 その上で大切なこととして「脱力」「支え」「正しいポジション」の3つを挙げた。適切な「脱力」には適切な安定した「支え」が必要であり、例えば腰の支えが安定しないと肩に力が入ってしまうなど、体の力のバランスについて解説し、体幹が安定する姿勢などを会場の参加者に体験してもらった。
 指のアプローチについては、余計な力が入らないよう弾いていない指は脱力し、常に鍵盤に触れている状態をホームポジションとする。そこから、腕からつながる重量と指先のスピードをコントロールして打鍵できるように、必要なときに必要な支えが瞬時にオン/オフされることが大事。打鍵時の力が次の動きに影響しないように素早くオフにする。また、エスケープメントポイントを通過する時のエネルギーが大切であり、鍵床を叩くことを目的としないことも重要。体重をかけるつもりで前かがみになった姿勢が、むしろ重心の不安定化につながってしまうことや、力を抜くつもりで肘を上下させることが、余計な力を入れる動きになっていることなど、普段気づきにくいヒントが多くあった。
 さらに関節の可動域や腱間結合の強さなど個人差を考慮し、指導における思考の可塑性が重要である点についても繰り返し言及された。小さなうちから良い響きを聴かせることは、テクニックに対する正しいイメージを育てることにつながるという。テクニックについて改めて考えさせられる中身の濃い講座であった。

■講座2 『ベートーヴェンを弾く―初期の作品から見えてくるもの―』
講師:小林 律子先生[東邦音楽大学准教授]

小林律子准教授による講座2『ベートーヴェンを弾く―初期の作品から見えてくるもの―』は、ピアノ・ソナタ第1番を例に取り、ベートーヴェンが幼少期からどのようなピアノ教育を受けたかに始まり、この作品を書くに至る彼の境遇や心理を含めて解説。ソナタのアナリーゼはもちろんだが、あまり気にしたことのなかった「そこに至るまで」の話が非常に興味深かった。
 家庭的にあまり恵まれなかった少年期のベートーヴェンだが、テノール歌手であった父からはピアノを弾くことを半ば強要されていたという。クリスティアン・ゴットロープ・ネーフェという当時有力な音楽家に才能を認められ、最初の作品である《ドレスラーの行進曲による9つの変奏曲》を出版したのは12歳のときであった。後にウィーンで活動するようになるが、そこで彼は即興演奏を武器に活躍することになり、やがてピアニストとしての活動は早めにリタイアし、作曲が中心となっていく。
 なお小林准教授は、ベートーヴェンはC・P・Eバッハを代表とする多感様式に大きな影響を受けていたとしている。多感様式とは感情をストレートに表現し、突然の気分の変化や大胆な転調などを特徴とするもので、この影響はソナタ第1番にも見て取れるという。
 講座の資料として、ベートーヴェンの作品の三本柱と言えるピアノ・ソナタと交響曲、それに弦楽四重奏曲の作曲年代をひとつにまとめたものが配られていた。これを見ると、ピアノ・ソナタの初期・中期・後期が弦楽四重奏曲のそれと一致するという考え方が自然であることがわかる。さらに、楽曲を考える際にはその作品だけでなく、同じ時期に書かれた交響曲や弦楽四重奏曲を参考にすることが大いに役立つことを再認識させられた。
 ピアノ・ソナタ第1番については、当時の調律では音が濁りやすく、使いにくいと言われていたヘ短調を選んだことが「覚悟の表れ」だと小林准教授は話す。また4楽章構成であることにも触れ、「最終的にベートーヴェンによってピアノ・ソナタが交響曲と同程度の立ち位置までステータスを高められたということを象徴している」との由。
 講座全体を振り返って、新しい情報に触れて自分のテクニックをアップデートしたり、楽曲の理解を深めるための知的好奇心を湧き上がらせてくれるような内容であった。

(文=今泉晃一)

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