第15回 東邦ピアノセミナー報告

第15回 東邦ピアノセミナー報告

ピアノの演奏や指導に携わる方を対象として、東邦音大の教授陣による最新の演奏テクニックや楽曲の解釈に関する講義を聞き、個人レッスンを受けることができる東邦ピアノセミナー。2022年7月31日に第15回が開催された。

■講座1 「ピアノのための練習曲の発展をたどる~バッハの教育的作品からショパンのエチュードまで~」
講師:浦川 玲子先生[東邦音楽大学専任講師]

浦川玲子専任講師による「ピアノのための練習曲の発展をたどる~バッハの教育的作品からショパンのエチュードまで~」。おそらく、「練習曲」と聞いて多くの人がすぐにイメージするのはショパンやリストの練習曲集やチェルニーによるものであろう。確かにピアノという楽器の発展と普及に伴い、このジャンルはロマン派以降大きく発展した。しかし、技術の習得や音楽性を養うための楽曲は、それ以前から存在している。
 今回はまずJ.S.バッハの「インヴェンションとシンフォニア(2声と3声のインヴェンション) BWV772-801」が題材となった。これはバッハが息子のW.F.バッハのために編んだ教育的作品群を基にして生まれ、両手が独立して動くようになること、さらには演奏における“カンタービレ”(アーティキュレーションを正確に表現し、重要な音に重みをかけること、そしてフレーズのはじめと終わりを意識すること)の方法の習得を目的としている。「インヴェンションとシンフォニア」は、ピアノを弾く上で必ずといっていいほど学ぶ作品だが、これらの成立の背景や、楽曲が目的とするものを改めて意識する機会は少ないのではないだろうか。浦川講師が説明していたように、この曲集がただ指を動かすだけではなく、鍵盤楽器で“歌う”ことを重要視していることを知ると、演奏の仕方は大きく変わってくるはずだ。今回はバッハの時代に使われていた、繊細なニュアンスをつけることのできる楽器である「クラヴィコード」の音色も音源で聴くことができ、より歌う演奏というものを強く意識できる機会となった。
 続いて18世紀を代表するクラヴィーア教本であるC.P.E.バッハ「正しいクラヴィーア奏法」についても解説。ピアノ演奏における運指法の現在と当時の違いが、楽器の構造や性能の差異に起因するものだということがよくわかる説明であった。実際に鍵盤楽器は18世紀から19世紀にかけて大きく進化しており、その進化の過程でピアノ演奏のテクニック、音色の出し方というのは大きく変わった。やがてそれは、ショパンやリストといった、現代のピアノに非常に近い性能を持つ楽器を熟知した作曲家による練習曲が生み出されていくことにつながる。このあと浦川講師はクレメンティやモーツァルト、ベートーヴェンにチェルニー、ショパンらの練習曲を扱いながら、バロックから古典、そしてロマン派に至る練習曲の特徴や目的も丁寧に解説。楽器の進化とピアノのテクニックとが密接な関係であること、それぞれの時代のスタイルを意識することで、「練習曲」がただの指の動きのために書かれたものではなく、より音楽的な演奏をするためのものであるということを改めて意識できる機会となった。

■講座2 「F.リストのピアニズムと作品の魅力を探る~F.リストの超絶技巧とされる卓越した演奏技術と多彩な表現の秘密~」
講師:中島 剛先生[東邦音楽大学専任講師]

中島剛専任講師による「F.リストのピアニズムと作品の魅力を探る~F.リストの超絶技巧とされる卓越した演奏技術と多彩な表現の秘密~」。“ピアノの魔術師”と評されるほどの圧倒的な技術を持ち、それを存分に発揮した作品を数多く残したリストだが、彼の音楽が優れているのは技巧面だけではない。美しい旋律と色彩豊かなハーモニーに彩られており、様々なインスピレーションに満ちている。中島講師は会場の空気を一瞬で変えてしまうほどの迫力と繊細さを併せ持つ演奏も交えることで、強い説得力をもって説明していく。
 なお、リストが優れた技巧を聴衆に届けることができたのは、中島講師が言うようにセバスチャン・エラールの製作したピアノの輝かしい音色、そしてエラールが特許を取得した「ダブル・エスケープメントアクション」の存在の影響が大きい。
 中島講師はさらに深くリストの楽曲を理解するため、彼の人物像を丁寧に解説するほか、実際の演奏法についても説明。演奏至難なリストの作品を演奏するために欠かせない身体の使い方として、腕の脱力や指の独立をはじめ、多彩な音色を生み出すためのペダリング、手のポジショニングなどにも言及していく。個人レッスンを受けていると錯覚するほど臨場感ある説明で丁寧に語られるのが印象的であった。しなやかな腕、指を作るための練習法(ゴムボールや鉛筆などの道具を使ったエクササイズ)や、ピアノで“歌う”ために、バッハの作品の練習を推奨するなど、かなり具体的な演奏のためのヒントが示されたが、それに加えてリストの代表的な作品である「ラ・カンパネラ」に「愛の夢第3番」、「ピアノ協奏曲第1番」、「ピアノ協奏曲第2番」で、それまでに説明されたテクニックを実際に使った実演も加えられ、より深い理解へと誘われる。あまり取り上げられることのない後期作品(「灰色の雲」、「夢のなかに」)の紹介では、リストの音楽の幅広さ、革新性についても触れられ、リストという作曲家と作品、さらにピアノのテクニックまで学べる充実の講座となった。

今回、浦川講師の講座では「練習曲」を通して鍵盤楽器の歴史と技術の発展を学び、中島講師の講座では、「練習曲」の一つの“完成形”を作り出した存在であるリストの様々な作品によってピアノの演奏法を具体的に学ぶことができた。歴史と音色、実践が見事なバランスを取り合った2つの講座を通して、普段向き合っているピアノという楽器の新たな面を発見し、より深く探求したいと思わせられる時間であった。

(文=長井進之介)

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