春の足音
まだまだ寒い日が続いていますが、立春も過ぎ、春の足音が徐々に近づいているようです。川越キャンパス近くでは、霜柱の間からかすかに緑が芽吹いていました。
「春は名のみの風の寒さや」で始まる「早春賦」は、作曲家中田喜直氏の父中田章氏が1913年に発表し、100年以上の時を経た現在でも、歌い継がれている名曲です。
1913年というと、十五代将軍徳川慶喜の没年であり、音楽界では、日本で初めてベートヴェンの後期のソナタを演奏したと言われている久野久女史が、純国産ピアニスト第一号として活躍していた頃です。
ちょうど西洋では、ドビュッシーがプレリュード第2集やエチュードを作曲していた頃と重なります。当時の日本では、音源や情報の少ない西洋音楽に対して、命を削る思いをしてひたすらひたむきに取り組んでおり、その精神と姿勢は、情報の溢れる現代に生きる私たちにも、大いに刺激を与えてくれるものと思います。
さて、大学・短大では、学生たちがその若いエネルギーを音に込めながら、後期実技試験に臨みました。大学では、4年間に前期後期合わせて8回、短大では2年間に4回の実技試験がありますが、そのひとつひとつのハードルを越えるたびに、学生たちは大きく成長しています。
人は、適正な負荷によって成長をするものです。
ピアノを演奏するためには、多くの要素を統合して取り組むことが必要なため、ピアノ演奏に情熱を傾けることは、音楽的にはもちろんのこと、思考面や精神面など人間的に想像を超える成長をもたらします。
そんな過程を私たち教員は、常に温かく丁寧にサポートしていきたいと思っております。
最後に蛇足ですが、中田章氏には、冒頭の「早春賦」の発表から10年後の1923年に、息子喜直氏が誕生しました。
その後喜直氏は、「夏の思い出」「小さい秋見つけた」「雪の降る街を」など、四季折々の名ヒット曲を作曲しましたが、「春」だけは、父の「早春賦」に勝るヒットがなかったとご本人が謙遜しておられたことは(実際には「さくら横ちょう」など名曲があります)、父上への敬愛の情でもあるように感じます。