退職にあたって

 頬を撫でるような柔らかな風が心地よい季節、見渡せば色とりどりの花たちが今か今かと出番を待っているようです。
 毎年巡る3月、今年も卒業生を送る時となりました。卒業式での凛とした姿を見ますと一人ひとりの学生生活の様子が思い起こされ、いつも胸が熱くなります。そしてこの先も、それぞれが幸せな人生を送って欲しいと願わずにはいられません。
 このような気持ちを40年間繰り返し、このたび私も東邦を卒業することになりました。40年の間に時代は20世紀から21世紀へと変わり、一人一人がコンピューター(スマートフォン)を持ち歩いているという信じられない社会になりました。東邦でも、手書きで提出していた試験曲届、教員が手書きをしていたレッスンの記録簿、学校からの連絡もすべてスマートフォンを通して行うようになりました。何と合理化されたことでしょう。
 その一方で、私たちは東日本大震災を初めとするさまざまな災害や、コロナ禍などを経験し、人が人としてどうあるべきかという重い課題を突き付けられたように思います。東邦ではコロナ禍の折にオンラインで授業やレッスンを行ったものの、他大学がまだオンラインで行っている中、感染防止に努めながら対面に切り替えました。その時の学生達の嬉しそうな顔と生き生きとした演奏は忘れられません。私達が音楽、そして芸術に支えられていることを強く感じた一瞬でした。長い年月生き残ってきたクラシック音楽には、人のさまざまな感情を表現する力、さらにそれを喚起する力が備わっています。この頃クラシックのハードルを下げるべく、若手の優秀なピアニスト達が幅広いジャンルで活動するようになりました。クラシックの裾野を広げるための活躍を期待する一方で、クラシック本来の深い精神性に基づいた演奏も大切にしてほしいと思うこの頃です。歌舞伎の若手役者達が伝統を重んじつつ新しいジャンルに挑戦しているように。

 さて私は40年間の在職中、常に「東邦が好き!」という気持ちを持ち続けることができ、幸せだったと感じています。東邦を一言で言うなら「温かさ」でしょうか。学生も教職員の方々も温かく優しい人柄の方ばかりです。音楽に向き合う厳しさを温かく包み込んでくださったこの環境は、とても居心地の良いものでした。学長先生を初め教職員の皆さま、そして何と言っても学生の皆さんに心より感謝申し上げます。これからも「東邦が好き!」の気持ちを持って東邦を応援し続けたいと思います。
長い間、お世話になりました。

大場 文惠